書籍紹介:あした死ぬ幸福の王子(飲茶)

Uncategorized

はじめに

哲学作家の飲茶さんが、ハイデガーについての本を執筆されたとのことで、購入。
(飲茶さんも好きだし、ハイデガーの考え方も自分の心に響いたので、迷わずに即購入。)
あした死ぬ幸福の王子
老人と王子の対話形式で物語が進んでいくため、非常に読みやすかった。
こんな人におすすめ
・自分の人生の意味について考えてみたい方
・自分の死、自分の生について考えてみたい方
・哲学思想について簡単に学んでみたい方

印象的なフレーズと自分なりの理解

ここでは、自分の印象に残ったフレーズと自分なりの理解をメモとして残しておく。
1)いかなる快楽も、明日自分が死ぬとしたら、なんの意味があるのか。
→快楽を追い求めて生きるのも、悪くはないし、必要なことだと思う。ただ、空虚な快楽を追い求めすぎると、その時々はいいけれど、あとから振り返ったときにあの時間は何だったのかと後悔するかもしれない。それよりも自分が本当に満足できること、意味があることを行うのがいいのではないか。
自分にとって空虚な快楽とは?:必要以上に動画を見てダラダラ過ごす時間、気の合わない人と過ごす時間(快楽ではないが。)
自分にとって本当に満足できることとは?:家族との時間、友人との時間、自分と対話する時間、知らない土地を旅行する時間

2)人間は、相手から道具だと思われながら日常生活を営むうちに、自分自身をも道具だと思いこむようになる。
→ここで、道具というのは代替可能な存在という意味。自分というのは代替不可能なかけがえのない存在。
自分というのは本来かけがえのない存在なのに、他者や社会から代替可能な存在、重要でない存在として扱われるうちに、いつの間にか自分  自身でも自分のことを重要でない存在として扱ってしまう。
これは自分はすごく理解できる。自分は(少なくとも自分にとっては)かけがえのない重要な存在なはずなのに、学校や社会に出ると、優秀な人がたくさんいて、自分のことを道具として扱ってくる上司もいて、だんだん、自分の価値がないように思えてくる。

3)人間は、自分がどんな存在であるかを問いかける存在
→人間は、道具に対して、様々な使い道、可能性を問いかける。
例えば、ハンマーがあれば、釘を打つことにも使えるし、何かを壊すことにも使える。
コップがあれば、飲み物を入れて飲むこともできるし、何かを入れて保管することもできる。
それと同じことを、自分自身にもしてしまう。つまり、「自分はどんなことができて、どんな存在なのか?自分の存在意義は?」と考える存在。他の動物であれば、住む場所があって、食べるものがあって、繁殖して。それで十分なはずなのに、何故か人間は住む場所があって、食べるものがあって、働ける場所もあって。安定していても満足できず、自分の存在意義に悩んでしまう。

4)死は代理不可能
→死ぬことは誰かに変わってもらうことはできない。自分自身を代替可能な存在で重要でない存在として扱ってしまうと書いたけど、死は代理不可能。だから、自分の代理不可能性、かけがえのない存在と気づかせてくれるのは、皮肉なことに死であると言える。
自分は、死ぬことを考えると、生きているこの一瞬がとてもかけがえのない瞬間に思えてくる。と同時に、他者の目線や社会の目線なんてどうでもいいから、自分の可能性に挑戦すべきだと思える。

5)人間とは、自己の固有の存在可能性を問題とする存在である。
→言葉が難解すぎて意味わからないけど、言い換えると以下のようになる。
=自分の人生とは何だったのか?
=自分という存在は一体何だったのか?
非常に難しいテーマだし、一生をかけても見つけることができないような壮大なテーマ。
だからこそ、自分に問いかけて、自分なりの答えを見つけることに意味があるのではないかと思う。

6)死の先駆的決意。いつかではなく、今この瞬間にでも自分が死ぬ存在ということを自覚して生きる。
→今死ぬ、明日死ぬは流石に現実的ではないけれど、3年後死ぬと言われたら、自分は何をするだろうか?
自分だったら、家族との時間を第一優先にする、行ったことない場所に旅行に行く、趣味の時間をたくさん取るとかかな?

7)被投性と企投性
自分は望んでいないのにこの世界に投げ込まれている(被投性)。一方で未来は予測不可能なのにひとつの可能性しか選べない(企投性)。
だけど、逆に考えれば、過去というのは自分しか経験していないオリジナルの自分で、未来も自分だけのオリジナルの未来をひとつ選択できるということ。
→のんべんだらりと生きるのではなく、自分オリジナルの未来に向けて、自分の可能性をフル活用しながら生きていこうということか。

8)人生の意味は死ぬまでわからない
→生きている現在はまだ人生の途中である、だから、いま人生を総括することなんてできない。
今は辛くても、今後幸福なことがたくさんあって、死ぬ直前にいい人生だったなあと思うことも十分にありえるし、逆にいま幸福でも今後不幸が積み重なり、死ぬ直前に辛い人生だったと思うこともあるだろう。
死ぬ瞬間まで、何が起こるかわからないと思って、死ぬまで必死に生きる。

終わりに

今回は飲茶さんのあした死ぬ幸福の王子から、ハイデガーの思想について紹介した。
正直言うと、自分なりに理解できている箇所と、まだまだな箇所が混在していて、今回は記事にすることが難しかった。
でも、哲学とは自分なりの考え方を醸成することだから、今の自分の考え方をかけたのでよかったかな。
みなさんはぜんぜん違う解釈をされるかもしれないけど、それが哲学するということだと思う。
自分なりの人生の意味、自分という存在の意味を考えてみるのはたいへん難しく、だからこそ価値のあることだと思う。
少しでも参考になれば嬉しいです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました